お盆の季節が終わりますとお彼岸です。かつて「暑さ寒さも彼岸まで」と言われたものですが、9月のお彼岸はまだまだ暑い昨今です。しかし、夕日は変わらず西に沈んでいきます。沈みゆく夕日を見つめていますと、懐かしい想いがこみ上げてくることもあります。私はそこでお豆腐屋さんのラッパが響きますと、もうタイムスリップしてしまいます。
仏教で来世は様々に説かれます。迷った世界では六道輪廻。天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界です。天人のいる天上界でありましても、やはり迷っていると考えます。天上とは快楽しかない世界。顧みるということがないのでしょう。快楽と苦悩は表裏一体です。地獄界に落ちたら大変です。『蜘蛛の糸』のようになってしまいます。
迷いの世界から脱したのが浄土です。「出世」という言葉がありますが、もとは仏教用語で「迷いの世界を出る」という意味になります。浄土もいくつかあるのですが、最も有名な浄土は極楽浄土です。阿弥陀如来という仏様がいらっしゃいます。そして、この極楽浄土は西方の彼方にあると説かれています。
インドの仏教徒たちは、亡き方を想うとき、きっと極楽浄土へ参っているはずだと夕日を見つめたことでしょう。インドの夕日はどんな夕日でしょうか。夕日が沈みゆく先に私たちの行くべき場所があると考えたのかもしれません。浄土は帰る場所でもあると言われます。夕日にはそんな懐かしさを感じさせる力があるように思います。
残暑厳しい最中ですが、夕日に思いを寄せてみてはいかがでしょう。
善福寺 住職 伊東 昌彦