『散骨のお申し込み』 散骨の地 ご紹介 ~再び大地に還る~

のこす記憶ドットコム事務局では、様々なご事情によりご納骨ができない方などに『散骨のお申し込み』を受け付けております。

 

亡くなられた方のご遺骨-ご葬儀の後にはお墓へ、との思いとはうらはらに、様々なご事情から思う様なご供養ができない、亡くなられた方のお墓を用意することができなかった、あるいは故人のたっての希望もあり敢えてお墓を用意はしなかった、などのことから、ご遺骨をご自宅に安置されたままの方もいらっしゃるかと思います。

 

人は亡くなってから、再び大地に還ると昔から言われます。のこす記憶.comでは、そのようなご遺骨が大地に再び還ることができる様、散骨のお申し込みを承っております。

 

詳しくはこちらをご参照ください。
『散骨の地』の様子など、こちらから写真でご覧いただけます。

 

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のこす記憶ドットコム 事務局

平成最後 終活と年賀状じまい

平成最後の年となることをひとつの区切りとして、長年続けてきたあちらこちらとの年賀状の遣り取りを整理し、ごく親しい方との間だけに限る『年賀状じまい』を進めるシニアの方が増えているそうです。たしかにお付き合いもだんだんなくなってきたり、年に一度の音沙汰のつもりが実は手紙も書けないほどの体調であることがわかったり、あるいは亡くなられていることを知るきっかけとなってしまったりと、近況を知らせ合う楽しみとは違った知らせになってしまうことも増えてくることもあるのかもしれません。
 

歴史的に見ると、いわゆる一年の始めに書簡の遣り取りをする様な風習は平安貴族たちの間ではじまり、やがて武家の間にもひろまっていったものの様ですが、今日でいうところの年賀状は、明治時代にはいり、前島密の建議により創設されるに至った郵便制度の登場から始まったものとなります。1871年1月24日に「書状ヲ出ス人ノ心得」及び「郵便賃銭切手高並代銭表」、「郵便規則表」等の、郵便に関する一連の太政官布告が公布、4月20日、東京 – 京都 – 大阪間に現行の制度の礎となる郵便制度が確立され、東京・京都・大阪に最初の郵便役所が創設されました。
 

庶民に郵便の便利さが伝わっていく過程で、新年の挨拶を直接は会えない人にも手紙という形で行える年賀状文化もまた広まり、その後、第二次世界大戦中に空白期はあったものの、明治、大正、昭和を通して、いわば日本の新年の風物詩として定着してきたものです。平成の半ば、平成15年には44億5千万枚もの発行数となった年賀状ですが、すでに次々に押し寄せてきていたデジタルコミュニケーションの波もあり、発行枚数はここをピークに減少していってしまいます。
 

近年、人と人とのコミュニケーションツールも劇的に変わってきていますが、それは、人と人とのお付き合いが変わってきたことによるものなのか、それともコミュニケーションツールが変わってしまったことによりお付き合いが変わってきたのか、そのどちらでもあり、またどちらでもない両方の側面を持ったものだと思います。ただ、手紙であれ、メールであれ、SNSであれ、また直接会うことであれ、これまでもこれからも、人と人が何らかのコミュニケーションツールでつながっていくこと自体には変わりがないのだろうと思います。終活において用意する『終活ノート(エンディングノート)』では、万一の時には連絡をしてほしい人をきちんとリスト化することができるものがほとんどです。ただ、実際それで全てだろうか、となるとリストを作ったご本人ですらはて?と思ってしまうこともあるのではないでしょうか。
 
残された人は、きっといろいろなものから、亡くなったことを知らせてほしい人を探るのではないかと思いますが、毎年年賀状の遣り取りをしていた人、というのもまたひとつの大切な基準になるように思えてなりません。先々変わってくることのあるものでしょうが、『年賀状じまい』をお考えの方も、もう少し先延ばしにしてみてはいかがでしょうか。
 
 
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終活支援サイト『のこす記憶.com』がお届けする『のこす記憶.comコラム』では、日常生活の何気ない一コマから、のこし伝えていきたい記憶を不定期更新で綴ってまいります。

写真とは

写真とは、というと特に深く疑問に思うことなく、あぁ写真ね、と共通のものを思い浮かべると思いますが、では英語のphotograph(フォトグラフ)が知られるようになってから作られた訳語なのかというとそういったものでは無い様です。あらためて『写真』という文字を見てみると、真を写す、と読むことができるかと思います。写真という言葉自体は、いわゆるカメラが登場するよりはるか昔、中国の明代の書物にも記述があるそうですが、後に日本にも西洋からphotography(フォトグラフィ/写真術、写真撮影)が伝わり、様々な訳語が考えられる中で、結果的に『写真』に落ち着いたという背景があると言われています。
 
中国で言う写真とは、元々肖像画のことであり、そこには、姿かたちだけではなく、その像主の本質、精神性といったもの、つまり『真』を写し取り表現することが求められていたためだと考えられています。
 
時代は変わりデジタル時代、カメラはもちろん、スマートフォンなど携帯できる各種機器でも簡単に写真を撮ることができるようになりましたし、何かを記録する装置としては手軽この上なく、便利なものだと思います。テクノロジーの発達により比較的簡易にさまざまな表現をすることもできるようになってきていると思います。ですが、何を撮りたいのか、はあくまで人が何を伝えたいか、に基づくものであって、ただその基本にあることを忘れずにありたいものだと思うのです。何を記録するか、それがどんな記憶の一枚になるのか、を決めるのは人であって、テクノロジーはその感性をどのように表現し、何を伝えたいのかを助けてくれるものであるからです。
 
 
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久闊を叙する(きゅうかつをじょする)

久闊を叙する、筆者の好きな言葉のひとつですが、久闊の『闊』は広い、大きい、という意味や、間が遠い、という意味があります。『久』はひさしい、年月が長いといった意味ですので、『久闊』は間の遠いことがひさしく続いてしまう、つまり久しく連絡を取っていない、無沙汰をしている、といった意味になります。続く『叙する』ですが、『叙』には順序立ててのべる、の意味があり、『叙する』というと、述べたいことを文章で表現するという意として使われます。『久闊を叙する』とは、すなわち無沙汰をわびる、また久しぶりに友情を温めるという意味で使われますが、この言葉の背景を思い浮かべてみると、そこには久しく会えていない友達との連絡にも、手紙を書いておくるという手段が主だった方法であった時代が見えてきます。通信技術の発達により、距離や時間に関係なく、簡単に連絡を取り合うことができるようになりました。久しぶりというわけでもないので、ほんの短い一言であったり、写真や動画で伝えたいことを視覚的にパッと伝えたりと、コミュニケーションのあり方もまたずいぶんと変わってきたかと思います。
 
そんな時代ですから、何と言いますか、『久しぶり感』を感じることがもしかしたら少なくなっているかもしれません。けれども、そんな時代だからこそ、久しぶりに会うことで、自分たちも気がついていない、驚くほどの『久しぶり感』を感じることもまたあるかと思います。
 
人が人を本当に感じられる距離というものは、昔も今も結局変わってはいないのだなぁ、と感じることしばしばです。

 

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会社

会社ってそもそも何だろう、という疑問を持ったことはないでしょうか。投資をする人、経営をする人、勤める人、立場によって捉え方は全く違うかと思います。大多数の目から見る会社というと、平たく言ってしまえばいわゆるお勤め先、仕事をしにいってお給料をもらうところ、といったところでしょうか。

 
英語のCompany、元をたどるとラテン語でcom=接頭辞で『共に』を意味する『cum』、pan=パン、広義の食事、そしてy=接尾辞として集団や集合体を表す時に使われるもの、と分解でき、共にパンを分け合う人の集まり、と解釈されると言われています。集まって一緒に食事をしたり、共同で何かを成し遂げたりする人々の集まりというのがそもそものところの様ですが、漢字で書く会社、こちらは分解すると、『会』は『會』の略体であり、蓋のある鍋を表したもので、いろいろなものを集めて煮炊きする様子を表現したものとされ、『社』は起源につき諸説あるものの、古代中国において土地の神、またそれをまつる場所や集団を表すものと言われています。要するに人の集まりを表す文字を重ねて使い『會社』、『会社』とした和製漢語であるそうですが、人ひとりでは成しえないことでも、複数の人が集まることで成し遂げられる、その様なことを成し遂げる集まりをつくって事を成す、という考えが包含された言葉だと改めて感じることができるかと思います。
 
定義される会社は様々ですが、その大多数は、いわゆるビジネスで収益をあげる会社に分類されるでしょう。企業が、会社が存続していくためには成長を続けなければなりませんし、その過程で事業を再編したり、効率化を考えなければならなかったりすることは当然発生します。そしてその中で人件費をカットして、という経営判断が必要に迫られてなされる場合もまた多くあるかと思います。しかしながら、その行為で当面帳尻があった数字は、実際のところ『当面』帳尻があっているだけで、しかも将来的に活用することができたであろう貴重なリソースを失ってしまっている場合もまた多く見受けられるかと思います。もちろんケースバイケース、それぞれ異なる事情で、いずれのケースにおいても簡単に言えるものではありません。けれども、共にパンを分け合う仲間として集まった人々、集まることで何かを成し遂げようと共に動いてきた仲間、それが会社だとするならば、『人』が主体で企業活動というものをしている限り、そういった『人と人とのつながり』がもたらす力というものが、時に単純な足し算では計りえないものになってきたことが少なからずあったな、ということにも気を留めてみると、何か違ったものが見えてくることがあるかもしれません。
 
背中を預けられる環境がなければ、やがて組織として走り続けることもまた難しくなってきてしまうのではないかな、と感じることしばしばです。

 
 
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写真がつたえる記憶

いくつかの調査によれば、スマートフォンに保存している写真の枚数は男女、年齢で差があるものの、平均では1,000~1,300枚以上にものぼるそうで、カメラのデジタル化、そして携帯電話に最初はプラスアルファの機能的についていたデジタルカメラ機能がどんどん高性能化し、カメラを日常的に持ち歩く、持ち歩けるようになったことで飛躍的に写真を撮る機会が増えていきました。さて撮るものはというと、友達や恋人、家族など人物メインのものが一番多く、次いで自然風景、それから料理と続く様ですが、撮ってシェアして、というもはや一連の流れともなっている行動が反映しているところもあるでしょうか。

 

記録装置でもあるカメラ、撮られた写真の多くは、人や景色、料理といった被写体がそのまま丸々構図の中に入っていて、何の写真であるのかが撮った本人以外の人、その場に居合わせていなかった人たちにもよく分かるものが多いかと思います。ただ、デジタル化で折角たくさんの写真を撮れるようになったのですから、記憶装置としてもカメラをもっともっと使ってみては、と思うのです。何気なく撮影した一枚、たまたまある瞬間の自分の視線の先にあったものをとらえた写真など、本人やその場に居合わせた人以外には、一体何の写真であるのか、もしかすると見当もつかないようなものもあるかもしれません。ですが、その一枚から甦ってくる、あぁ、そういえばこんな話をしたよな、あんな顔をしていたっけ、といった記憶にはじまり、味や喧噪、その場の音楽であったり、あるいは肌で感じた空気や風の心地など、そこには写っていなくても、そこに凝縮された記憶がたくさんの一枚、きっと誰しもスマートフォンの中に眠っているのではないでしょうか。

 

 

デジタル時代にたくさんの写真を撮ることができるようになり、ところが写真を撮ったはいいけれどなかなか整理が進まないという方が増えてきています。A.I.などのテクノロジーを使っての整理技術も実装レベルに達してきていますが、それでも記憶の一枚は機械判断もなかなか難しいのは変わりません。日々の忙しさに追われる中ででも、むしろそれだからこそ、少しゆっくり腰かけて、写真を眺めてみてください。自分だけの、記憶の一枚がきっと見つかるのではないでしょうか。

 

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黒電話

携帯電話の普及により、今では家には固定電話はない、というご家庭もめずらしくはなくなってきているかとも思いますが、かつてはどこのご家庭にもあった黒電話、指が懐かしさを覚えているよ、という方もたくさんいらっしゃるかと思います。

 

一口に黒電話といっても歴代いろいろありますが、いわゆる601形、601-P形と呼ばれるものが2002年までは生産が続いていた機種であり、新規設置も可能なものでした。1985年(昭和60年)の日本電信電話公社民営化(日本電信電話株式会社(NTT))と、それに続く第二電電株式会社(現 : KDDI)をはじめとする「新電電」の事業参入が可能となったことは、利用者に対して端末設備を1社が独占的にレンタル提供する形式を、技術基準適合認定をクリアしている端末であれば自由に選べる形へと変化させ、黒電話が徐々に姿を消していく大きなきっかけともなりました。

 

ダイヤルを回す黒電話だと、電話をかける相手の番号に0や9がいくつも入っている時、単純にダイヤルの戻り時間がかかることから、ダイヤルを回す時間もかかってしまい、急いでいる時などちょっともどかしく思うこともあれば、反対に1や2が多い番号だと妙に早く電話をかけることができたり、と、指や耳が覚えている懐かしい記憶のようなものを感じます。尤も、ダイヤルを回すということ自体、経験のない世代も増えてきていますが、こんなある種の機能的制限からくる時間の流れの緩やかさの様なものを、時にはのこしておく良さというものもあるのではないかな、とデジタル化の時代に敢えて思うことしばしばです。

 

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小学一年生 黄色い帽子

小学一年生の黄色い帽子、ご自身の子供の頃の記憶やお子さん、お孫さんの入学の記憶として懐かしく思い出される方も多いのではないでしょうか。いわゆる通学帽ですが、主に登下校に不慣れな一年生が、一般に交通安全色とされる黄色い帽子を着用するというもので、歴史的には産業災害や交通事故の増加を受け1960年(昭和35年)閣議了解により毎年7月1日を「国民安全の日」と制定されたことをきっかけに、黄色い帽子の着用が大きく広まったと言われています。

 

ただ、全国的に見ると地域や学校単位でも黄色い帽子の着用は区々で、小学校一先生の最初の時期だけというところもあれば、一年間というところ、またずっと黄色い帽子という学校もあれば学年毎に色分けをしたり、またそもそも気候や他さまざまな理由から、黄色い帽子は着用しないというところもあり、調べてみると一様ではない様子が見えてきます。

 

黄色い帽子を着用させない理由のひとつに、黄色い帽子をかぶっていることで小学一年生であることが一目でわかり、却って誘拐や性犯罪などに遭ってしまう危険性が高まるというものが近年現実的な問題としてあり、安全のためにパッと目立つ配慮をそのような理由で変えなければならない理不尽さは、しっかりとした社会の目を改めて育てていかなければならないという責任を感じさせられるものかと思います。

 

 

小学一先生の黄色い帽子、ひとつひとつの帽子に、ひとりひとり違った想い出や記憶がたくさん詰まっていると思います。それはおそらく特別でも何でもない毎日のことで、何でもないごく普通のことがたくさん詰まっているだけかもしれません。けれど、その何でもない普通のことを、いつかきっと何より懐かしく思うかもしれません。

 

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記憶と記録のすれ違い VRと介護

誰しも等しく歳を重ねていきますが、その過程で、ある程度は避けられない加齢による自然のものや、また様々な病気などにより、どうしてもだんだんと自分の記憶と記録とがかみ合わなくなってしまうことが増えてくるかと思います。何か得意なもののひとつやふたつは人間あるものですが、例えばその得意なことが出来た記憶は、時としてどうも強くのこり続ける様です。それが昔話の域を出て、昔取った杵柄で、さぁやってみようと取り掛かると、やってみたところ残念ながらその記録は、さてどうも記憶にあるものとはおよそかけ離れてしまったものに、などということはむしろ普通のことではないでしょうか。

 

加齢そのものや、それに伴ってかかりやすくなってしまう病気などにより、身体や心が以前の様ではなくなってしまうことは、やはり多かれ少なかれ仕方のないことだと言わざるをえないでしょう。昔できた記憶は、きっといつまでも、いやむしろ高齢になってから、時としてさらに鮮明になっていくものなのかもしれません。そしてその記憶は人それぞれ、様々あるものですが、それらを記憶のまま、記憶としてのこす工夫が、もっとできないものだろうか、と考えさせられます。美しい記憶を、楽しい記憶をそのままに再現できれば、という願いは共通のものだと思います。もちろん全てのことが再現できるわけではありませんし、そもそも再現するだけでは意味をなさないものの方が多いかもしれません。ですが、例えばVR技術のさらなる発達などにより、少なくともそうしたのこしたい、再現したい記憶の幾ばくかを、ふたたび体験、体感できる新しい記録としてよみがえらせることができるようになっていくのかもしれないですね。

 

自分ではできないから、周りの助けを得られないから、と諦めるのではなく、それなりに自分でできて、周りに無理なお願いをするのでもなく、であれば、介護する側、される側、それぞれにとっても有益なものではないでしょうか。

 

実際に旅行に行くのが難しくなってしまった高齢者の方が仮想旅行に出かけたり、あるいは介護事業者が、認知症や幻視というものを仮想体験したりすることで、介護される側の立場をすこしでも理解できる手助けとなるなど、少しずつ活用も始まっています。

 

近年、少し前までテスト段階であったようなテクノロジーが次々と実装レベルに達してきて、かつ改善も進んでいます。テクノロジーが支える、本当の意味での豊かな高齢化社会の到来は、人々がのこすべき記憶を伝えていく手助けともなることでしょう。

 

 

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出逢い 涙 笑顔 記憶の写真

もう一年かぁ、早いね、などという言葉がよく聞かれる季節になりました。今年初めての出逢いもあれば、毎年恒例の集い、本当に久しぶりの再会など、様々かと思います。出逢えば別れがありますが、最後に会った時、どんな顔をしていただろう、どんな顔がお互い記憶にのこっているだろう、どんな顔を記憶にのこせているだろう、と思い起こすことはありませんか?
涙があふれていたかもしれない、思いっきり笑っていたかもしれない、やさしく微笑んでいたかもしれない、切ない顔をしていたかもしれない、じっと見据えていたかもしれない、遠くを見ている横顔を見せていたかもしれない、俯いていたかもしれない、不安でたまらない顔をしていたかもしれない、振り返った背中が記憶にのこっているかもしれない…記憶にのこっている姿、記憶にのこせている姿は、きっと何気ない日常の中にも、たくさんあると思います。たとえ最後に会ったとき、どんな顔をしていたっけなぁ、と思い出せなくても、心の中には、ちゃんと記憶の写真がいくつもあるものだと思います。そこには、かわした言葉であったり、一緒に楽しんだ味であったり、触れ合った感触であったり、そんな様々がひとつになって、記憶の写真をつくりあげているのだと思うのです。

 

今年一年のいろいろな出逢いの中での記憶の写真、少しだけ心の中で整理してみてください。次に会えた時にも、もう再び会えなくなってしまった時にも、きっとそれらはのこしたい大切な一枚になっていると思います。

 

逢うことで増えていく一枚一枚、大切にしたいものです。

 

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