土佐一条氏 ~中村御所の公家大名③~
大永二年(西暦1522年)一条房冬の嫡男として誕生した一条房基。享禄三年(西暦1530年)にわずか齢九つで従五位下に叙爵、そして享禄五年(西暦1532年)には右近衛中将に任官と、まだ幼き頃より官位を進めていったのでござい […]
続きを読む →大永二年(西暦1522年)一条房冬の嫡男として誕生した一条房基。享禄三年(西暦1530年)にわずか齢九つで従五位下に叙爵、そして享禄五年(西暦1532年)には右近衛中将に任官と、まだ幼き頃より官位を進めていったのでござい […]
続きを読む →此度は、土佐一条家のお話の続きでござりまする。 明応七年(西暦1498年)一条房家の嫡男として誕生した房冬は、永正七年(西暦1510年)に元服いたしますと、従五位上・侍従に叙任、その後も官位を進 […]
続きを読む →一条氏と申さば、藤原氏嫡流たる五摂家、すなわち近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家の一家であり、公家の中でも最も高き家格、摂政・関白・太政大臣への昇任が許される限られた名門でございました。 応 […]
続きを読む →此度は続きの話にて、近隣の桐生氏のお話でござりまする。 佐野厄除け大師の通称で知られる天台宗惣宗寺の北東およそ二里弱(約7.5km)に位置し、下野国唐沢山城を本拠として平安の末より栄えた佐野氏に […]
続きを読む →平安の末より、下野の国を中心に栄えた佐野氏は、平将門を討ったことで名高い藤原秀郷にまでその起こりを溯りまする。秀郷の後裔は下野国足利荘を本拠としたことから足利氏と呼ばれまするが、後に室町幕府将軍家となる源氏足利氏との混同 […]
続きを読む →此度の歴史の木戸口 史の綴りものは、近衛家と並ぶ五摂家の双璧とされた九条家の起こりとともに、武家がもはや公家の意のままに動く軍事貴族から一段上の存在へと昇ってきた時代における摂関家の姿を見つめてみたいと思いまする。&nb […]
続きを読む →将軍の器 ~籤引き将軍 足利義教~ 度の歴史の木戸口 史の綴りものは、前回から続きまして、いよいよ室町幕府六代将軍、足利義教の時代へと進みたく存じます。三代将軍足利義満の子にして、兄である四代将 […]
続きを読む →将軍の器 ~籤引き将軍 足利義教~ 此度の歴史の木戸口 史の綴りものは、室町幕府六代将軍、足利義教公のお話につなげつつ、少し時代を遡りまして、そもそも将軍の器とは何ぞや、ということにふれるお話で […]
続きを読む →婆沙羅大名・佐々木道誉 歴史の木戸口 史の綴りもの、これまで三回に亘り、戦国時代半ばに一時は山陰山陽十一か国の内、八か国の守護となり、中国地方に並びなき勢力を誇るまでに至った尼子(あまご)氏につ […]
続きを読む →尼子氏への流れ・京極氏、婆沙羅大名佐々木道誉まで 歴史の木戸口 史の綴りもの、今回は、尼子氏の歴史をすこしさかのぼりまする。 歴史の木戸口 […]
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