四月の法語
「往き易くして、しかも人なし」 極楽浄土は阿弥陀如来によって、誰しもが往生し易いところです。しかし、往生したきりではありません。往生人は再びこちらの世界へ戻って、そして家族を導いていくのです。 […]
続きを読む →「往き易くして、しかも人なし」 極楽浄土は阿弥陀如来によって、誰しもが往生し易いところです。しかし、往生したきりではありません。往生人は再びこちらの世界へ戻って、そして家族を導いていくのです。 […]
続きを読む →「厭離穢土といふは、それ三界は安きことなし、もつとも厭離すべし」 世間(=三界)は煩悩にまみれていますが、私たちはそのすがたに気づくことがありません。目をそらさず直視することにより、はじめて厭離すべきほど穢 […]
続きを読む →「それ適化に方なく、陶誘一にあらず」 仏教の教化(=適化)には定まった方法はなく、人を教えいざなう(=陶誘)ことも唯一の方法があるわけではありません。人に物事を説明するときには、相手の立場を考え、相手に合っ […]
続きを読む →「仏を信ずる因縁をもってみな往生を得」 仏を信じるということは、すべてを任せるということです。私たちにとりましての一大事と言えば、やはり生き死にの問題となりましょう。生き死にを任せることが信であるのです。 […]
続きを読む →「往生を得るが故に、即ち三界輪転の事を免る」 三界とは迷いの世であり、往生浄土とはこの世から出ていくことを指します。一般に「出世」と言えばこの世での栄華ですが、本来はそうした栄華から抜け出ることを意味するの […]
続きを読む →「無礙とは、謂はく生死即ち是れ涅槃なりと知る」 さまたげのない(無礙)こと、つまり真理とは、生きるも死ぬも、この世の迷いすべてがそのまま涅槃(ニルヴァーナ=迷いが消えた状態)なのだと言うことなのです。両極端 […]
続きを読む →「この心、仏となり、この心、これ仏なり」 仏教では自らの心を清めていくことが仏となる道だと説きます。仏の心が私のもとに届き、そして私も仏となっていくのです。 出典:『観無量寿経』 […]
続きを読む →「来生の開覚は、他力浄土の宗旨、信心決定の道なるがゆへなり」 浄土真宗では覚りを得ることは来生、つまり、現世で信心が定まり、往生浄土しての来世となります。現世で覚るということは素晴らしいことですが、自分を見 […]
続きを読む →「もろもろの悪業をもって、みずから荘厳す。かくのごときの罪人、悪業をもってのゆえに、まさに地獄に堕すべし」 悪しき行いは自分に粘着してくるものであり、見ている風景なども悪しきものとなり、まさに地獄へ落ちてい […]
続きを読む →「田あれば田を憂い、宅あれば宅を憂う」 何かを手に入れれば、それが消えてしまわないか心配になる。多くの人が経験する心情ではないでしょうか。手に入れるということは、俗世間のなかではそれなりに価値あることですが […]
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