「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。」『平家物語』の有名な冒頭句です。祇園精舎とはインドにかつて存在した寺院で、正式には祇樹給孤独園精舎(ぎじゅ・ぎっこどく・おん・しょうじゃ)と言います。給孤独長者が祇陀太子の樹苑を買い取って、共同してお釈迦様へ寺院を寄進したそうです。今から二千年以上も昔の話です。
『平家物語』の作者は、平家の栄枯盛衰を目の当たりにして諸行無常を観じ、お釈迦様のいらっしゃる祇園精舎へ思いを馳せたのでしょうか。戦乱後の寺院に響く鐘の声がもの悲しさを誘い、遠く天竺インドへの憧憬の念を深めさせたのかもしれません。無常とは常がないこと、常に変わらぬ不変な存在などないのだという仏教の教えです。
ただ残念ながら祇園精舎に鐘はなく、インドでは哀愁ただよう鐘の声が響くことはなかったようです。寺院にある鐘は中国から伝わったと言われおり、奈良時代のものが現在も残されています。『平家物語』は作者不詳ですが、平家の盛衰を物語る内容からして早くとも鎌倉時代の作となります。鎌倉時代にあっても、インドの情報はほとんど中国経由で伝えられていたと思われますし、当時の日本人がインドの寺院にも鐘があるという想像をしたとしても責められません。なお、インド出身の僧侶として、奈良時代に東大寺大仏の開眼導師を勤めた菩提僊那(ボーディセーナ)がいますが、渡来する前は中国で活躍されていたようなので、おそらく鐘にも慣れてしまっていたのでしょう。
いずれにしましても、古来、日本の情感というものは諸行無常に敏感であったようで、たとえば散りゆく桜を見ても美しさを感じてしまうほどです。桜の花びらに諸行無常を観じ、虚しさのなかに美しさを見出すといったところでしょうか。栄華を誇った平家の敗れゆく姿に、敗者の美しさを感じ取ったのかもしれません。実際には源平の争いは庶民には迷惑以外の何物でもなかったとは思いますが、『平家物語』の冒頭からも、日本の軍記物語がこうした情感によって語られてきたことが分かります。まさに「盛者必衰のことわり(=理)」によって、人生の本当のところを伝えてくれていると言えましょう。
調子の良いときであっても驕らず、調子の悪いときも前向きに、必ずまた上り坂になるときは来るものです。平家の栄枯盛衰は歴史の彼方ではありますが、今なお歴史から学ぶことは多いと言えます。巨大な政治権力を手に入れても、奢り高ぶる者は決して世の中で長続きしません。必ず打倒されるものなのです。
『平家物語』は冒頭句に続いて、「奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」と語ります。盛者必衰、この理は現代でも当然あてはまります。
『宗の教え~生き抜くために~』
宗教という言葉は英語のreligionの訳語として定着していますが、言葉では表し切れない真理である「宗」を伝える「教え」という意味で、もとは仏教に由来しています。言葉は事柄を伝えるために便利ではありますが、あくまでも概念なのでその事柄をすべて伝え切ることは出来ません。自分の気持ちを相手に伝えるときも、言葉だけではなく身振り手振りを交えるのはそのためでしょう。それでもちゃんと伝わっているのか、やはり心もとないところもあります。ましてやこの世の真理となりますと、多くの先師たちが表現に苦労をしてきました。仏教では経論は言うまでもなく大事なのですが、経論であっても言葉で表現されています。その字義だけを受け取ってみましても、それで真理をすべて会得したことにはなりません。とは言いましても、言葉が真理の入口になっていることは確かです。言葉によって導かれていくと言っても良いでしょう。本コラムにおきましては、仏教を中心に様々な宗教の言葉にいざなわれ、この世を生き抜くためのヒントを得ていきたいと思います。
善福寺 住職 伊東 昌彦