大永二年(西暦1522年)一条房冬の嫡男として誕生した一条房基。享禄三年(西暦1530年)にわずか齢九つで従五位下に叙爵、そして享禄五年(西暦1532年)には右近衛中将に任官と、まだ幼き頃より官位を進めていったのでございました。中央とのつながりも重んじ、外交に長けた父、房冬の働きかけによるものであったと、想像に難くないことではございますが、その後も位階を進め、天文九年(西暦1540年)には、従三位に叙せられ公卿に列することとなるのでございました。官は既に就いておりました右近衛中将でしたので、一条三位中将となったのでございまする。
翌天文十年(西暦1541年)には阿波権守の官も兼ねることになりますが、その年の霜月(11月)には父、房冬が薨去、房基は若くして土佐一条家の家督を継ぐこととなるのでございました。
土佐一条家は、初代房家亡き後、わずか二年で二代房冬が世を去り、その結果まだ若い房基が三代目を継いだばかりでは、家中も必ずしも静穏ではなかったかもしれず、また乱れ乱される隙もどうしても目につきやすい時期ではなかったかと考えられます。しかしながら、房基はよく家中をまとめ、土佐東部や南伊予へ兵を進めております。尤も、結果的に一条家の勢力圏を拡げることにつながったとは雖も、降りかかる火の粉を払いのけるためであったり、縁戚関係にある豊後大友家の求めに応じての出兵であったりと、此方から仕掛ける類の戦ではなかったのでございまする。当主が相次いで代わることを余儀なくされた土佐一条家でしたが、これまでに打ってきた布石は功を奏し、房基の動きを扶けることにもつながったのでございます。
よく家中をまとめあげ、兵を動かし、土佐一条家の勢力圏拡大に努めるなど武に優れた観のある房基でしたが、摂関一条家当主であり、叔父にあたる一条房通に一条家秘蔵の有職故実書である『桃華蘂葉』の写本手配を願い、また、初代房家が三条西実隆に書写を願い出て土佐一条家に伝わった『伊勢物語天福本』の奥書に房基の花押があり、親しく触れていたことも伺い知られ、文芸にもまた親しむ、文武に秀でた当主であったことが伺い知れまする。
こうして房基の治世が続き、勢いを増すやに思われた土佐一条家。なれどそれが続くことはなく、天文十八年(西暦1549年)房基は突如として自ら命を絶ったと伝えられております。享年二十八、その真偽のほどは杳として知れず。世は戦乱の時、桜の花見頃を過ぎようという頃でございましょうか、土佐一条家を率いる若き当主が世を去り、混乱の足音が聞こえてくることを否とは言い切れぬ、卯月の土佐中村でございました。
『のこす記憶.com 史(ふひと)の綴りもの』について
人の行いというものは、長きに亘る時を経てもなお、どこか繰り返されていると思われることが多くござりまする。ゆえに歴史を知ることは、人のこれまでの歩みと共に、これからの歩みをも窺うこととなりましょうか。
かつては『史』一文字が歴史を表す言葉でござりました。『史(ふひと)』とは我が国の古墳時代、とりわけ、武力による大王の専制支配を確立、中央集権化が進んだとされる五世紀後半、雄略天皇の頃より、ヤマト王権から『出来事を記す者』に与えられた官職のことの様で、いわば史官とでも呼ぶものでございましたでしょうか。様々な知識技能を持つ渡来系氏族の人々が主に任じられていた様でござります。やがて時は流れ、『史』に、整っているさま、明白に並び整えられているさまを表す『歴』という字が加えられ、出来事を整然と記し整えたものとして『歴史』という言葉が生まれた様でございます。『歴』の字は、収穫した稲穂を屋内に整え並べた姿形をかたどった象形と、立ち止まる脚の姿形をかたどった象形とが重ね合わさり成り立っているもので、並べ整えられた稲穂を立ち止まりながら数えていく様子を表している文字でござります。そこから『歴』は経過すること、時を経ていくことを意味する文字となりました。
尤も、中国で三国志注釈に表れる『歴史』という言葉が定着するのは、はるか後の明の時代の様で、そこからやがて日本の江戸時代にも『歴史』という言葉が使われるようになったといわれております。
歴史への入口は人それぞれかと存じます。この『のこす記憶.com 史(ふひと)の綴りもの』は、様々な時代の出来事を五月雨にご紹介できればと考えてのものでござりまする。読み手の方々に長い歴史への入口となる何かを見つけていただければ、筆者の喜びといたすところでございます。
<筆者紹介>
伊藤 章彦。昭和の出生率が高い年、東京生まれ東京育ち。法を学び、海を越えて文化を学び、画像著作権、ライセンスに関わる事業に日本と世界とをつなぐ立場で長年携わっている。写真に対する審美眼でこだわりぬいたファッション愛の深さは、国境をこえてよく知られるところ。
どういうわけだか自然と目が向いてしまうのは、何かしら表には出ずに覆われているものや、万人受けはしなさそうなもの。それらは大抵一癖あり、扱いにくさありなどの面があるものの、見方を変えれば奇なる魅力にあふれている。歴史の木戸口『史の綴りもの』は、歴史のそんな頁を開いていく場。
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