宗の教え022 神仏習合で充実度アップ
日本の伝統宗教と聞いて、どのような風景を思い起こすでしょう。神社や寺院のひとコマでしょうか。神社は日本人としての歩みを神話時代から伝えますし、寺院は日本人の歩み方を教えてくれる存在とも言えます。言うまでもなく神社は神道で […]
続きを読む →日本の伝統宗教と聞いて、どのような風景を思い起こすでしょう。神社や寺院のひとコマでしょうか。神社は日本人としての歩みを神話時代から伝えますし、寺院は日本人の歩み方を教えてくれる存在とも言えます。言うまでもなく神社は神道で […]
続きを読む →仏教の修行と言いますと、かなり難易度が高いと思われる方も多いでしょう。修行という言葉のイメージが厳しさを伴いますし、実際、難しい修行は現代でも受け継がれています。しかし難しい修行があるならば、易しい修行もあるのが道理です […]
続きを読む →運命の分かれ道ってありますよね。あの時、ああしていればよかったなあとか。もっと前向きに言えば、ああしたから今があるんだとか。人によって様々だと思います。自分の判断だけでは避けられないような出来事もありますが、だいたい自分 […]
続きを読む →今まで極楽浄土の話をしてきましたが、こうしたいわゆる「あの世」という概念を、日々の生活において捉えるならば、どういう意味が出て来るのでしょう。そもそも、なぜ極楽浄土が仏教で説かれるかと言えば、より充実した「今」を生きるた […]
続きを読む →浄土系の寺院で読誦することの多い『阿弥陀経』という経典に、「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)という一節がございます。これは阿弥 […]
続きを読む →極楽浄土、仏教で説くところのいわゆる「あの世(あちらの世間)」ですが、より清浄さが強調される場合は「出世間(しゅっせけん)」とされ、穢れである世迷い事のある世俗を出たより高次な国土とされます。「世間」というのは、まだ迷い […]
続きを読む →仏教に限らず、どのような宗教でも信心は不可欠です。仏さまも神さまも、普通に生活していれば頻繁に出遇えるという存在ではありません。宗教において、私たちが直接触れているのはまずは教えであり、教えを通じて宗教体験をすることが可 […]
続きを読む →前回、自業自得のお話をさせていただきました。私たちは自分の意志に関わらず、思いがけず善い方向にも悪い方向にも行ってしまい、困惑することもしばしばです。だからこそ、時には肩の力を抜いて、流れにまかせるような生き方も必要では […]
続きを読む →今回、タイトルだけを見ますと、あまり良い印象を持たれないかもしれません。「自業自得」という言葉は、一般的には悪い意味で用いられることが多いでしょう。「悲惨な結果になったのは自業自得」など、悪いことは自分の責任なのだという […]
続きを読む →前回からの続きとなります。 幽霊登場のお話や、幽霊画や幽霊像を見るならば、恨めしい思いを持って亡くなった人もいるだろう、怒りのなかで亡くなった人もいるだろう、大きな悲しみをこの世で懐いて亡くなっ […]
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