利他、そしてMen for others

人生の価値とは何でしょう。そもそも価値の有無なんて人生を語るに相応しくないとも言えますが、敢えて言えば、何に重きを置くべきなのでしょうか。何か歴史に残ることを成し遂げたいと考える方もいるでしょう。他方、ささやかな日常、それなりに幸せなら満足だと言う方もいるでしょう。人の数だけ思いがあって当然だと思います。

 

先日、先天性の症状を持たれている方のお葬式をしました。いつも明るく、家族で問題にぶつかったときも、いつも笑顔で、何度も助けられたとご遺族は語っておられました。一般的に言えば、こうした方と暮らしをともにするのは大変なことです。出生前診断が話題になることからも、大変なことだという認識が一般的であることが分かります。私も即座に大丈夫ですと答える自信はありません。

 

故人は歴史に残る何かを残したわけではありません。これは故人に限らず、実はほとんど大多数の人がそうです。しかし、ご遺族は本当に助けられたと、多くの笑顔をもらったと、そう私に語って下さいました。おそらく、ご家族としての苦悩は常にあったかと思いますが、それでもなお、自分たちがいかに大変であったかということではなく、明るさや笑顔をもらったことで心がいっぱいだと、だからこそ、感謝のためにお葬式をしっかり勤めたいと。

 

人に何かを与えていくことがいかに尊いことであるのか、改めて学ばせていただきました。お葬式のときには、「有難う、有難う」という言葉をよく耳にします。感謝の思いです。皆が心底感じるところなのだと思います。弔うということは、故人が極楽や天国に行けるように仕向けるためではありません。いただいたことに感謝をする場なのです。遺族のために必要な場であるとも言えましょう。

 

大乗仏教では利他、つまり他者を利する行いこそ最高の実践行とします。キリスト教でも隣人を愛せと説くでしょう。Men for others、他者のために生きる人であれ。これこそ宗教の普遍的な真理なのかもしれません。

 

善福寺 住職 伊東 昌彦

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