登山をしますと、険しいコースと緩やかなコースに分岐する場合があります。山頂は同じなのですが、登山者の熟練度によってコースが分かれています。険しいけど早く山頂に着くか、緩やかだけど山頂まで時間がかかるか、登山者は自分で選ぶことが出来ます。登山の過程は異なりますが、山頂での爽快感や目に映る景色が異なることはありません。自分の熟練度に合わせて登ることが出来るのは有難いことです。
仏教では「難易二道」と言いまして、修行を道程に譬え、陸路を歩くのは難行道、水路を舟で進むのが易行道とします。どちらも修行の到達点は同じですが、修行者の素養によって選ぶことが出来るとします。難行は険しい自力の道、易行は緩やかな他力の道とも言われます。自力とは自分自身の力を言い、他力とは如来による救済の力を言います。修行者が自分で何とかするのか、それとも如来によって救われる道を行くのか、その違いです。もちろん、到達点である「さとり」に違いはありません。
人生も同じでしょう。自分を過大評価せず、自分の素養に合わせた歩みが肝腎です。
『宗の教え~生き抜くために~』
宗教という言葉は英語のreligionの訳語として定着していますが、言葉では表し切れない真理である「宗」を伝える「教え」という意味で、もとは仏教に由来しています。言葉は事柄を伝えるために便利ではありますが、あくまでも概念なのでその事柄をすべて伝え切ることは出来ません。自分の気持ちを相手に伝えるときも、言葉だけではなく身振り手振りを交えるのはそのためでしょう。それでもちゃんと伝わっているのか、やはり心もとないところもあります。ましてやこの世の真理となりますと、多くの先師たちが表現に苦労をしてきました。仏教では経論は言うまでもなく大事なのですが、経論であっても言葉で表現されています。その字義だけを受け取ってみましても、それで真理をすべて会得したことにはなりません。とは言いましても、言葉が真理の入口になっていることは確かです。言葉によって導かれていくと言っても良いでしょう。本コラムにおきましては、仏教を中心に様々な宗教の言葉にいざなわれ、この世を生き抜くためのヒントを得ていきたいと思います。
善福寺 住職 伊東 昌彦

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