車の運転が好きです。とは言いましても、レースではありません。速度はあまり出さず、流して走るのが好きなのです。ただしオートマ車ではなく、マニュアル車です。公道での常識的な速度のなかで車を操るのが好きです。速度を出すとコントロールできず、楽しみが半減してしまいます。20代のころは速度も出しましたが、公道では速度を出しても車の運転が上手いわけではないでしょう。
しかし、そんな私の好きなマニュアル車も少なくなりました。また、そもそもエンジン車も消えていくようです。電気自動車の時代到来です。周囲の物事が大きな変化を迎えています。時代が変わる節目にいる気分ですね。
好き嫌いは人それぞれですし、価値観も人それぞれです。私は昭和生まれですが、比較的古い価値観を持ち合わせているのかもしれません。たとえば家庭内においても、お母ちゃんは家にいて欲しいなあと思ったり、父こそが一家の大黒柱なんだと思ったりします。いい時代に生まれ育ったからかもしれませんが、時代が変わっても自分は変われません。本だってデジタルより実物がいい、大事な人とはオンラインよりも直接会いたい、通販も便利だけど小売店の店主のいる雰囲気が好き、という具合です。遅れています。
「温故知新」であればよいのですが、私の場合はそうではなく、昔にすがりついているだけの面も大きいようです。「諸行無常」、物事は常に移り変わっていきます。それに抗うことは合理的には見えません。時代についていけなければ、生きづらい部分が増えてくるからです。仏教では「諸行無常」を覚るべしと教わります。ただ、それと同時に覚れない自分自身の愚かさも学びます。私自身を眺めてみますと、凝り固まった古い価値観に執着しており、変化していく勇気がなさそうです。慣れ親しんだ場所にいるほうが安心はしますよね。それが人間なのだと仏教は教えてくれているのです。
とは言え、その慣れ親しんだ場所は、決して本当の安心を与えてくれるものではないでしょう。安心とはむしろ、こうした執着のない状態を言うからです。やはり「温故知新」、自分の大切な昔から何かを学び、新しく変化していくことこそ大切なようです。電気自動車でも運転の楽しさは変わらないかもしれませんし、性別によらず活躍できる社会こそ今は必要です。私自身も変わっていかなければなりません。
善福寺 住職 伊東 昌彦