記憶と記録のすれ違い VRと介護

誰しも等しく歳を重ねていきますが、その過程で、ある程度は避けられない加齢による自然のものや、また様々な病気などにより、どうしてもだんだんと自分の記憶と記録とがかみ合わなくなってしまうことが増えてくるかと思います。何か得意なもののひとつやふたつは人間あるものですが、例えばその得意なことが出来た記憶は、時としてどうも強くのこり続ける様です。それが昔話の域を出て、昔取った杵柄で、さぁやってみようと取り掛かると、やってみたところ残念ながらその記録は、さてどうも記憶にあるものとはおよそかけ離れてしまったものに、などということはむしろ普通のことではないでしょうか。

 

加齢そのものや、それに伴ってかかりやすくなってしまう病気などにより、身体や心が以前の様ではなくなってしまうことは、やはり多かれ少なかれ仕方のないことだと言わざるをえないでしょう。昔できた記憶は、きっといつまでも、いやむしろ高齢になってから、時としてさらに鮮明になっていくものなのかもしれません。そしてその記憶は人それぞれ、様々あるものですが、それらを記憶のまま、記憶としてのこす工夫が、もっとできないものだろうか、と考えさせられます。美しい記憶を、楽しい記憶をそのままに再現できれば、という願いは共通のものだと思います。もちろん全てのことが再現できるわけではありませんし、そもそも再現するだけでは意味をなさないものの方が多いかもしれません。ですが、例えばVR技術のさらなる発達などにより、少なくともそうしたのこしたい、再現したい記憶の幾ばくかを、ふたたび体験、体感できる新しい記録としてよみがえらせることができるようになっていくのかもしれないですね。

 

自分ではできないから、周りの助けを得られないから、と諦めるのではなく、それなりに自分でできて、周りに無理なお願いをするのでもなく、であれば、介護する側、される側、それぞれにとっても有益なものではないでしょうか。

 

実際に旅行に行くのが難しくなってしまった高齢者の方が仮想旅行に出かけたり、あるいは介護事業者が、認知症や幻視というものを仮想体験したりすることで、介護される側の立場をすこしでも理解できる手助けとなるなど、少しずつ活用も始まっています。

 

近年、少し前までテスト段階であったようなテクノロジーが次々と実装レベルに達してきて、かつ改善も進んでいます。テクノロジーが支える、本当の意味での豊かな高齢化社会の到来は、人々がのこすべき記憶を伝えていく手助けともなることでしょう。

 

 

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終活支援サイト『のこす記憶.com』がお届けする『のこす記憶.comコラム』では、日常生活の何気ない一コマから、のこし伝えていきたい記憶を不定期更新で綴ってまいります。