久闊を叙する(きゅうかつをじょする)

久闊を叙する、筆者の好きな言葉のひとつですが、久闊の『闊』は広い、大きい、という意味や、間が遠い、という意味があります。『久』はひさしい、年月が長いといった意味ですので、『久闊』は間の遠いことがひさしく続いてしまう、つまり久しく連絡を取っていない、無沙汰をしている、といった意味になります。続く『叙する』ですが、『叙』には順序立ててのべる、の意味があり、『叙する』というと、述べたいことを文章で表現するという意として使われます。『久闊を叙する』とは、すなわち無沙汰をわびる、また久しぶりに友情を温めるという意味で使われますが、この言葉の背景を思い浮かべてみると、そこには久しく会えていない友達との連絡にも、手紙を書いておくるという手段が主だった方法であった時代が見えてきます。通信技術の発達により、距離や時間に関係なく、簡単に連絡を取り合うことができるようになりました。久しぶりというわけでもないので、ほんの短い一言であったり、写真や動画で伝えたいことを視覚的にパッと伝えたりと、コミュニケーションのあり方もまたずいぶんと変わってきたかと思います。
 
そんな時代ですから、何と言いますか、『久しぶり感』を感じることがもしかしたら少なくなっているかもしれません。けれども、そんな時代だからこそ、久しぶりに会うことで、自分たちも気がついていない、驚くほどの『久しぶり感』を感じることもまたあるかと思います。
 
人が人を本当に感じられる距離というものは、昔も今も結局変わってはいないのだなぁ、と感じることしばしばです。

 

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