誰かの補助輪になりたい

何か新しいことに挑戦する時、最初だけ必要なものっていろいろありますが、自転車の補助輪もその代表格ですよね。子どもの頃、あんな縦に車輪がふたつ並んだだけの乗り物に、どうして倒れずに乗ることができるんだろう、と、どうしても子どもの理解できる範囲の力学的なものをベースに考えてしまうので、それは不思議に思ったのを今でも覚えています。そんなわけで初めての自転車にくっついてきた補助輪は、あぁ、これなら横に倒れないなぁ、と、子ども心にも納得して安心できる、とても頼もしい部品でした。

 

ところが慣れてきても、補助輪への依存は自然にはなくなりません。ある程度以上傾くと自然に接地して支えてくれるものですから、段々早くこげるようになってきても、半ば当たり前のように頼ってしまうことでそこが踊り場のようになってしまいます。けれど、次のステージに向かうためには、補助輪を外しての練習をしなければなりません。

 

不安はもちろんです。けれども、それまで補助輪と一緒に走り続けてきた体には、もう次のステージへと進む準備がきっと出来ています。ペダルもはずして前を見て進む練習から始めて、やがて後ろから支えてもらう手を離れ、初めて自分だけの力でこぎ進めた時の達成感は、誰しもが長く持ち続けている記憶のひとつではないでしょうか。

 

補助輪なしで最初から器用に乗りこなしてしまう子ももちろんいますが、人はいろいろな初めてにおいて、最初はどうしてもちょっとした助けが必要な場合が多くあると思います。たとえそれはやがて必要なくなると分かっていても、最初にひとりで進めることを確かめるために必要な、ちょっとしたひと押しは、たった一言の言葉、特別なメッセージのつまった贈り物や手紙、懐かしい写真、あるいは最初だけ一緒に進むことなど、ひとりひとりの初めての数だけあるかもしれません。

 

いろいろな「ちょっとしたひと押し」が人生の様々な場面にあると思いますが、それは全ての人が、全ての人に対してできることなのだと思います。自分に何ができるか、どんなひと押しができるか、ぜひ考えてみてください。それを必要とする人は意外と近くにいるかもしれません。そしてそれは、きっと長く相手の心にのこる記憶となるものだと思います。

 

誰かの補助輪になりたい、そんな風に思う気持ちを大切にしたいと思いました。

 

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終活支援サイト『のこす記憶.com』がお届けする『のこす記憶.comコラム』では、日常生活の何気ない一コマから、のこし伝えていきたい記憶を不定期更新で綴ってまいります。