平成最後 終活と年賀状じまい

平成最後の年となることをひとつの区切りとして、長年続けてきたあちらこちらとの年賀状の遣り取りを整理し、ごく親しい方との間だけに限る『年賀状じまい』を進めるシニアの方が増えているそうです。たしかにお付き合いもだんだんなくなってきたり、年に一度の音沙汰のつもりが実は手紙も書けないほどの体調であることがわかったり、あるいは亡くなられていることを知るきっかけとなってしまったりと、近況を知らせ合う楽しみとは違った知らせになってしまうことも増えてくることもあるのかもしれません。
 

歴史的に見ると、いわゆる一年の始めに書簡の遣り取りをする様な風習は平安貴族たちの間ではじまり、やがて武家の間にもひろまっていったものの様ですが、今日でいうところの年賀状は、明治時代にはいり、前島密の建議により創設されるに至った郵便制度の登場から始まったものとなります。1871年1月24日に「書状ヲ出ス人ノ心得」及び「郵便賃銭切手高並代銭表」、「郵便規則表」等の、郵便に関する一連の太政官布告が公布、4月20日、東京 – 京都 – 大阪間に現行の制度の礎となる郵便制度が確立され、東京・京都・大阪に最初の郵便役所が創設されました。
 

庶民に郵便の便利さが伝わっていく過程で、新年の挨拶を直接は会えない人にも手紙という形で行える年賀状文化もまた広まり、その後、第二次世界大戦中に空白期はあったものの、明治、大正、昭和を通して、いわば日本の新年の風物詩として定着してきたものです。平成の半ば、平成15年には44億5千万枚もの発行数となった年賀状ですが、すでに次々に押し寄せてきていたデジタルコミュニケーションの波もあり、発行枚数はここをピークに減少していってしまいます。
 

近年、人と人とのコミュニケーションツールも劇的に変わってきていますが、それは、人と人とのお付き合いが変わってきたことによるものなのか、それともコミュニケーションツールが変わってしまったことによりお付き合いが変わってきたのか、そのどちらでもあり、またどちらでもない両方の側面を持ったものだと思います。ただ、手紙であれ、メールであれ、SNSであれ、また直接会うことであれ、これまでもこれからも、人と人が何らかのコミュニケーションツールでつながっていくこと自体には変わりがないのだろうと思います。終活において用意する『終活ノート(エンディングノート)』では、万一の時には連絡をしてほしい人をきちんとリスト化することができるものがほとんどです。ただ、実際それで全てだろうか、となるとリストを作ったご本人ですらはて?と思ってしまうこともあるのではないでしょうか。
 
残された人は、きっといろいろなものから、亡くなったことを知らせてほしい人を探るのではないかと思いますが、毎年年賀状の遣り取りをしていた人、というのもまたひとつの大切な基準になるように思えてなりません。先々変わってくることのあるものでしょうが、『年賀状じまい』をお考えの方も、もう少し先延ばしにしてみてはいかがでしょうか。
 
 
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終活支援サイト『のこす記憶.com』がお届けする『のこす記憶.comコラム』では、日常生活の何気ない一コマから、のこし伝えていきたい記憶を不定期更新で綴ってまいります。