会社

会社ってそもそも何だろう、という疑問を持ったことはないでしょうか。投資をする人、経営をする人、勤める人、立場によって捉え方は全く違うかと思います。大多数の目から見る会社というと、平たく言ってしまえばいわゆるお勤め先、仕事をしにいってお給料をもらうところ、といったところでしょうか。

 
英語のCompany、元をたどるとラテン語でcom=接頭辞で『共に』を意味する『cum』、pan=パン、広義の食事、そしてy=接尾辞として集団や集合体を表す時に使われるもの、と分解でき、共にパンを分け合う人の集まり、と解釈されると言われています。集まって一緒に食事をしたり、共同で何かを成し遂げたりする人々の集まりというのがそもそものところの様ですが、漢字で書く会社、こちらは分解すると、『会』は『會』の略体であり、蓋のある鍋を表したもので、いろいろなものを集めて煮炊きする様子を表現したものとされ、『社』は起源につき諸説あるものの、古代中国において土地の神、またそれをまつる場所や集団を表すものと言われています。要するに人の集まりを表す文字を重ねて使い『會社』、『会社』とした和製漢語であるそうですが、人ひとりでは成しえないことでも、複数の人が集まることで成し遂げられる、その様なことを成し遂げる集まりをつくって事を成す、という考えが包含された言葉だと改めて感じることができるかと思います。
 
定義される会社は様々ですが、その大多数は、いわゆるビジネスで収益をあげる会社に分類されるでしょう。企業が、会社が存続していくためには成長を続けなければなりませんし、その過程で事業を再編したり、効率化を考えなければならなかったりすることは当然発生します。そしてその中で人件費をカットして、という経営判断が必要に迫られてなされる場合もまた多くあるかと思います。しかしながら、その行為で当面帳尻があった数字は、実際のところ『当面』帳尻があっているだけで、しかも将来的に活用することができたであろう貴重なリソースを失ってしまっている場合もまた多く見受けられるかと思います。もちろんケースバイケース、それぞれ異なる事情で、いずれのケースにおいても簡単に言えるものではありません。けれども、共にパンを分け合う仲間として集まった人々、集まることで何かを成し遂げようと共に動いてきた仲間、それが会社だとするならば、『人』が主体で企業活動というものをしている限り、そういった『人と人とのつながり』がもたらす力というものが、時に単純な足し算では計りえないものになってきたことが少なからずあったな、ということにも気を留めてみると、何か違ったものが見えてくることがあるかもしれません。
 
背中を預けられる環境がなければ、やがて組織として走り続けることもまた難しくなってきてしまうのではないかな、と感じることしばしばです。

 
 
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