オフラインになる権利と家族の時間

2017年1月1日に、フランスの労働者が勤務時間外のメールを見なくてもよいということが公式に認められたのは、記憶に新しいところだと思います。

 

これは、2016年5月に同国で成立した労働法改正の中身のひとつですが、いわゆる「オフラインになる権利」と呼ばれ、従業員が50人を超える企業では、会社が従業員の業務メール送受信を禁止する時間帯を明記した行動規範を策定することが義務化されたというものです。

 

携帯電話、メール、そしてそれに連なる通信技術の発達は、確かに緊急連絡を容易にしたり、コミュニケーションの手段を多様化したりという様々な恩恵をもたらしたことは間違いないでしょう。ですが、昔から過ぎたるは及ばざるが如し、と言われる様に、便利すぎる弊害というのもまた、もはや無視できないところに来ていることを改めて考える機会なのかもしれません。

 

勤務時間が終わっても、週末や休みの日でも、休暇でどこかに旅行に行っているときでも、年々電波のつながらないところというのは少なくなってきており、あいにく連絡が取れません、という理由はもはや成立しにくくなってきてしまっています。取引先からのメール、上司からのメールなど、受け取りには正直ちょっと一呼吸置きたいものですよね。休みなくそれらを受け取り続け、例え返信はすぐにしなくてよいと言われていたとしても、そのメールが来ているということだけで緊張状態の持続を招き、結果的にストレスを与え、やがて睡眠障害につながったり、家族関係の問題に発展したりしかねないとも言われています。

 

そんな経験がある、という方は驚くほど多いのではないでしょうか。特に勤勉で、公を優先させる気風のある日本人の場合、休みであっても自分だけ休めないと感じてしまったり、また業務の煩雑化に比して人員削減が進む実態の下、自分の代わりがいなくて事実上休めなかったりといった環境下に置かれている労働者の実質超過労働は、もはや全ての業種に共通する課題となって久しいものと言えるかと思います。タイトなスケジュールと厳しい予算管理の反面、100%を求め続けられる社会風土の下、「疲弊」の二文字が広く労働者にのしかかったままとなっている様に思われます。

 

もちろんそれだけが理由ではない部分も多分にあります。ただ、それでも、ひと昔前はわざわざ家庭に仕事は持ち込まなければ持ち込まずに済みましたが、今ではポケットにいつも入っているデバイスと一緒に勝手にやってきてしまうようになったのです。

 

それがなければ家族団らんの時間が持てる、という単純なものではもちろんないでしょう。ですが、実際問題として本当の意味での終業時間をなくしてしまうような実態に対しては、そこに何等かの線引きをしようという取り組み―、そこにはやはり何かしら学ぶべきものがあるのではないかと感じます。

 

メリハリが大事であること、分かっているつもりで忘れてしまってはいないでしょうか。古来、弓も普段から張ったままでは、いざ戦という時に結局使い物にならないという教えはありましたが、どんなにデジタル化が進もうと、当事者が人である限り、そこは結局何も変わらないのではないでしょうか。

 

送れば終わり、と思いがちなメールですが、送る前にちょっとだけ考えてみませんか? 相手が今何をしているだろうか? 友人や家族とのんびりしている時間じゃないだろうか? 先方はもしかしたら休業日じゃなかっただろうか? そして何より、これは本当に今直ぐ送らなければならないものなのだろうか、ということを。

 

少しだけ想像力を働かせて、相手のことを考えてみることを、もし本当に多くの人が行っていける社会になれば、きっと多くの家庭で、懐かしいとさえ言えるような、ホッとする時間というものを取り戻していくことができるのではないかと思います。

そしてそんな少しの、けれど本当の「休み時間」がひとりひとりにもたらす心の健康こそが、次の生産性向上につながっていくのであろうと思います。

 

 

 

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