奇行の人、増賀上人

日本天台宗に増賀上人という方がいらっしゃいます。10世紀に活躍された方で、元三大師として有名な良源さんに師事されました。碩学なのですが、かなりの奇行で知られた方でもあります。

 

たとえば宮元啓一先生の『日本奇僧伝』(筑摩書房、1998年)によりますと、ある時、おそらく位の高い人が増賀上人に法話を頼んだそうです。上人はその道中、良い法話をするということは名声を高めることになる、それこそ貪欲(とんよく=貪りの心)を深めてしまうことであり、これは非常にまずい、と考えられました。上人はとにかく、こうした世俗の煩わしさから逃れようとしてきた方ですが、立場上、なかなか思うようにはならなかったようです。その結果、思い切り奇抜な行いをすることで、相手に幻滅されることを狙っていたようなのです。このときも例にもれず、法話会で施主とわざと大喧嘩をして法話をせずに帰ったそうです。とても極端なことをする方なのですが、それほど世俗の縛りから逃れるというのは難しいことなのでしょう。その増賀上人が次のような句を残されています。

 

「いかにせむ 身を浮舟の荷を重み 終の泊まりや いづくなるらん」

 

私訳しますと、「どうしよう。この体は浮舟のよう(に頼りない)ですが荷が重い。行きつくところは、いったいどこになることやら」というような具合でしょうか。世の人は出世に励んだり、名声を求めてあたふたしていますが、そんなものは風が吹けば沈んでしまうものでしょう。しかし貪欲や様々な欲望は重たく、これを下ろしたくても船着き場がどこにあるのかさえ分からない。

 

私たちは分かったようなフリをしてこの世を生きていますが、実はどこから来て、そしてどこに行くのか全然分かりません。この世のことさえ、何のころやらさっぱり分からないというのが実情です。自分のことであっても、どうでしょう、なかなか分からないことが多いのではないでしょうか。

 

増賀上人は自己をよくよく観察された方で、だからこそ、自分のなかの貪欲、愚かさから逃れよう逃れようとし、数々の奇行に及んだのだと思います。冒頭の奇行はソフトなほうで、もっとハードはものが知りたい方は、是非、宮元先生のご著書をご一読下さい。なお私訳には、小池一行氏の『僧侶の歌』(笠間書院、2012年)を参考にしました。

 

善福寺 住職 伊東 昌彦

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