経論の教えから その10 『正信念仏偈』

無量寿如来に帰命し 不可思議光に南無したてまつる。

 

「帰命無量寿如来、南無不可思議光~」と言いますと、それ聞いたことあると思われる方もいらっしゃるでしょう。中部地方以西の方はとくに多いかもしれません。お経と言えば『般若心経』が有名ですが、仏教伝来以降、ご家庭で最も読まれているのは「帰命無量寿如来」の『正信偈』かもしれません。おじいちゃん、おばあちゃんが読まれていたのを幼い頃に聞いたという方、私も何人も出会ったことがあります。

 

では、続けてその次の句が出てくるかと言えば、それ以降は分からんなあとなる方も多いことです。故郷から遠く離れてしまっている方も多いでしょうし、『正信偈』からも距離が開いてしまったのでしょう。もちろん、それでも構わないと私は思います。ご縁があれば、きっとまた『正信偈』が身近になるはずです。仏教に限らず、宗教は焦って取り組むものではないでしょう。その時が来れば、きっと自然に身についてくるものです。

 

とは言いましても、冒頭の句の意味を知っておくことは無意味なことではありません。実は冒頭の二句は、「南無阿弥陀仏」と同じ意味合いなのです。インド伝来の仏教書の書き方として、まずは自身の信仰告白を記すことは一般的です。したがいまして、これはまさに阿弥陀如来に南無する、すなわち帰依しますという宣言に他ならないのです。そして『正信偈』の作者は親鸞聖人ですので、これは親鸞聖人の信心そのものであると言えるでしょう。

 

帰依するということは、すべてまかせ生きるということです。人生は山あり谷ありですので、もがき思い悩むことも多いのが私たちです。自分の力で道を切り開くことも大事ですが、ときには力を抜いて、まかせ切るという生き方もありでしょう。人生にはまた、自分の力ではどうにもならないことも多く、状況に自分自身を合わせていくことも必要です。そんな柔軟な心というものは、大きな存在に身をまかせることにより、自然と身につくものかもしれません。

 

南無する生き方というもの、私は大切だと思っています。

 

善福寺 住職 伊東 昌彦

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